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-醤油蔵を訪ねて- 近代化産業遺産群

近代化産業遺産記事

「近代化産業遺産」とは、我が国産業の近代化を支えた建造物、機械等について公募方式により「産業遺産活用委員会の審議を経て経済産業省が認定しているものです。

地域において、先人の歩みを知り、将来に向かっての活力に繋げていくことは、地域活性化を進める上で重要です。なかでも、幕末から昭和初期にかけての産業近代化の課程は、今日の「モノづくり大国・日本」の礎として、また各地域における今日の基幹産業のルーツとして、極めて重要な意義を持っています。

このような産業近代化の課程を物語る存在として、全国各地には数多くの建造物、機械、文書などが今日まで継承されています。

これらの「近代化産業遺産」は、古さや希少さなどに由来する物理的な価値を持つことに加えて、国や地域の発展においてこれらの果たしてきた役割、産業近代化に関わった先人たちの努力など、非常に豊かな価値を有しています。

近代化産業遺産の持つ価値は、単体では伝わりづらく、歴史を軸としつつ、人材・技術・物資等の交流にも着目して複数の遺産を関連づけ、当該遺産が果たした役割を明確にすることにより、初めてその価値の普及が効果的になされるものと言えます。

このため、経済産業省では、近代化産業遺産の価値を顕在化させ、地域活性化に役立てることを目的として、産業史や地域史のストーリーを軸に、相互に関連する複数の遺産により構成される「近代化産業遺産群33/ 続33」を取りまとめるとともに、個々の遺産について認定を行いました。

 

■ 瀬戸内海沿岸の気候風土に育まれた
 製塩業・醸造業の近代化の歩みを物語る近代化産業遺産群

018.jpg瀬戸内海の沿岸地域は、江戸期から気候・風土を活かした製塩業や醸造業が営まれていたが、近代を迎えると、他産地から製品の流入や政府による増税への対応を図るため、近代的な経営手法や生産技術の導入が開始された。その結果、瀬戸内海の製塩業は貴重な戦略物資である塩の国産を支え、小豆島・龍野の醤油醸造業は千葉の野田・銚子とともに「全国醤油四大産地」に数えられるまでに成長した。また、広島の日本酒醸造業は灘・伏見とともに「三大名醸地」と謳われるようになった。これらの食品製造業がたどった道のりは、地域の風土に根ざした食品産業近代化の課程を物語っている。

瀬戸内海産の塩や海運によって入手できる大豆・小麦を主要原料とし、さらに麹の培養に適した温暖な気候を背景として成立した瀬戸内の醤油醸造業は、江戸時代より香川県の小豆島と兵庫県で営まれ、近代に大きく発展することになった。その動機となったのは、関東醤油の販路拡大と日露戦争の戦費調達を目的とした醤油税の大増税への危機感であった。

小豆島では、木下忠次郎が1905年に小豆島醤油醸造同業組合立醸造試験場(現香川県発酵食品試験場)を設立し、東京帝国大学大学院で醸造学と発酵科学を専攻していた清水十二郎を招いて品質向上に取り組んだ。その一方で木下は1907年丸金醤油㈱(現マルキン忠勇㈱)を設立し、島内の企業を統合して経営の合理化を図った。また、関西の食文化を支える「うすくち醤油」を生み出した兵庫県龍野では、龍野醤油協同組合の設立により近代化の第一歩が踏み出され、1942年には企業合併により龍野醤油㈱(現ヒガシマル醤油㈱)が設立され、品質の向上と経営の安定化が進んだ。

これらの近代化によって、小豆島と龍野は全国的な醤油生産地としての礎を築き、今日でも千葉県の野田・銚子とともに四大生産地としての地位を保ち続けている。

 

小豆島の近代化産業遺産に認定された建造物!

小豆島に醤油が伝えられたのは、今から400年以上前の文禄年間(1592~1595)といわれています。天正19年(1591)の春、紀州湯浅の赤桐家が大阪城築城中の太閤秀吉に醤油と兵糧米を献上し「天下一の調味料」と激賞された記録が残っており、ちょうどその頃、小豆島では全島で大阪城築城のための石材を切り出していました。おそらく来島した諸大名の採石部隊は湯浅の醤油を調味料として携帯していたと思われ、石材の切り出しに協力していた我々の先祖は、その時紀州湯浅の醤油を知り、醤油に対する興味を持ったにちがいありません。そして、紀州湯浅で製法を学び、島に帰り製造方法を伝え、天正末年から文禄初年には醤油が造られていたとされています。

その醤油が小豆島の基幹産業として重要な位置づけを果たすようになったのは、明治時代に入ってからですが、明治20年代の最盛期には400軒の醤油屋さんがありました。しかし、当時「上物は関東しょうゆ」と言われており、小豆島の醤油業界には、醸造技術の改善と品質の向上が大きな課題でした。

 

■ マルキン忠勇(株) 醤油蔵群(マルキン醤油記念館を含む)

159.jpg小豆島醤油の品質の改善に取り組んでいた木下忠次郎は、新技術を実地に率先して応用するため、新会社の設立を企図し、これを苗羽醤油協会員に図り、明治40年(1907)1月苗羽村定光寺において創立総会を開いた。名称は讃岐金比羅宮に因んで、丸金醤油株式会社とし、株主164名、資本金30万円であった。(小豆島醤油組合百年史)

「丸金醤油の100年」には、小豆島のしょうゆ業界では、醸造技術の改善と品質向上を図るため、醤油試験場を設置し、関東より清水十二郎工学士の招聘を行います。しかしながら、醸造工場の機械化を実現し、試験場の研究成果を関東しょうゆに匹敵するような、最上のしょうゆ造りにつなげるためには、当時100以上も存在していた個人のしょうゆ業者ではできないとの見解に立ち、1907(明治40)年1月22日に、木下忠次郎が有志数人とともに「丸金醤油株式会社」を設立しました。木下忠次郎は初代の丸金醤油の社長に就任し、関東のしょうゆと並ぶような高い品質のしょうゆを生産・販売することを目指します。創業の翌年には早くも関西の市場に向けて出荷を開始し、さらなる品質向上とともに、当時は軽視されがちだった、香川県の金刀比羅宮のご紋章からいただいた「丸金」の商標を広告宣伝することにも力を入れていきました。

このように丸金醤油は1社だけで始まったわけでなく、小豆島の数社が数社のしょうゆメーカーが一緒になって設立され、設立後も1934(昭和5)年には小豆島内の3社と合併、続く1942(昭和17)年には小豆島内にあるしょうゆ会社の工場15ヶ所を統合、1962(昭和37)年にはさらに島内の4社が加わるなどしていきました。もともとの創業自体が、1社の営利追及というよりも、小豆島しょうゆを関東のしょうゆにも引けを取らないような地位を押し上げることを目的としていたため、複数の小豆島の業者が集まることで、丸金醤油は形成されていきました。

1930(昭和5)年には、念願の東京市場への進出を果たし、これによって関東の有力しょうゆメーカー3社と肩をならべる「四印」のひとつと呼ばれるようになりました。

 

【マルキン醤油記念館】 TEL0879-82-0047

IMG_0693.jpg大正初期に建てられた合掌造りの醤油蔵を醤油記念館として整備し公開しています。

館内に入ると創業からの歩みや醤油のできるまでの工程をパネル紹介。次に大桶のトンネルをくぐると100年前にタイムスリップしたように先人たちが工夫を凝らした古い道具の展示・棒締式圧搾機・麹室などを見ることができます。

館内の直売店では小豆島の特産品を購入することができます

入場料 個人 大人210円 小人100円
団体(15人以上) 大人160円 小人 70円
※身障者1名につき、介護人の方も110円となります。
開館時間・休館日 期 間 休館日 開館時間
7/20~8/31
10/16~11/30
無 休 9:00~16:30
上記以外 10/15(秋祭りのため)
12/28~1/1(年末年始)
9:00~16:00

 

■左海醤油工業(株) 醤油蔵及び水圧式蓄量機小屋

IMG_9238.jpg●創業 安政4年(1857)

●当社は伝記によると古くから回船業を営んでおり、安政4年(1857)より醤油醸造業を兼営しております。主に大阪や高知県に販売。その後回船業を廃止し、醤油醸造販売の専業となりました。

明治40年(1907)、丸金醤油株式会社の創立に参加。

昭和12年(1937)2月、阪神地区拠点として大阪出張所(現 株式会社左海商店)を大阪堀江に開設しました。

大戦末期、国に工場を軍需物資倉庫として徴用されて一時休業となり、戦後の昭和21年(1946)6月24日、醤油・調味料・食料品の製造販売、並びにこれに付随する一切の業務を営むことを目的とする左海醤油工業株式会社(資本金50万円)を設立し、再出発となりました。

昭和47年(1972)、人手不足及び設備老朽化の対策、品質の向上・生産の効率化を図るために、近代合理化の設備が整った株式会社島醸の設立に参加し、現在に至っています。

 

■ヤマサン醤油(株) 醤油蔵

IMG_9270.jpg●創業 弘化3年(1846)

●小豆島では1番古い醤油屋さんです。創業は弘化3年(1846)、初代與平氏とされており、160有余年の歴史があります。現在の礎となったものは二代目亀吉氏によるものとされています。三代目忠男氏は、佃煮業界の育成発展に力を注ぎましたが、四代目である辨治郎氏は、外科医としてこの地に病院を開業(塩田病院)しながらも醤油業を継続し、その間は業務用に特化しており、佃煮向けのアミノ酸液の製造にも力を注いでおります。平成10年(1998)より、現社長の洋介氏により「島造り」のブランドを冠し消費者向けの商品開発をし、通信販売による新たな販売ルートの開拓を試みています

【醤の郷馬木散策路と醤油蔵見学】 TEL0879-82-1014

ヤマサン醤油は、醤の郷・馬木散策路案内所として、醤油蔵見学、馬木散策路の案内を行っています。醤油の話は勿論、小豆島の歴史と産業(醤油、佃煮、素麺、オリーブ)などの話を詳しく塩田社長から聞くことができます。

営業時間 AM8:00~PM5:00
  (休日) 日・祭日、 土(不定休)

※案内は無料ですが、不在の場合がありますので事前にご予約ください。
※全工程約2時間コースの場合(ドリンク・お土産付)は900円要予約
※麹部屋を利用した店内で、島の特産品販売、お食事処ではご当地グルメ「ひしお丼」(要予約)をランチプランで提供。

 

■正金醤油(株) 醤油蔵

IMG_9258.jpg●創業 大正9年(1920)1月

●創業者藤井松吉(1885~1975)は、金両醤油を創業した藤井吉蔵の三男として生まれ、大正9年(1920)、37歳で念願の醤油醸造の認可を土庄税務署から受け、藤井家が最初に建設した醤油蔵で分家独立し、醤油の製造を始めました。昭和28年(1953)、松吉の長男、藤井正七(1906~1995)が正金醤油株式会社を設立、昭和50年、藤井正信(1930~)が代表取締役社長に就任しました。

●正金醤油の醤油蔵は、小豆島に現存する醤油蔵では最も古い建造物で、明治の始め頃に立てられたものです。

 

■金大醤油(株) 醤油蔵

IMG_9276.jpg●創業 昭和2年(1927)

●昭和11年(1936)創業者の坂下重太郎が死去。以後、諸味の桶売りを主として事業を継続しました。昭和15年(1940)からの統制経済は、主を失った事業体にとっては、むしろ福音であった。昭和25年(1950)4月より、三男の秀雄氏が引き継ぎ。同年、統制経済は撤廃となり、自由競争の時代となり、戦後誕生し漸く発展期にあった佃煮業界の調味料に着目。昭和28年(1953)より、佃煮用の醤油をいち早く生産し好評を博しました。平成7年(1995)より、「だし醤油」の製造を開始。現在は、醤油をベースにした加工調味料を鋭意開発中です。